|
知人宅に不幸があり、土曜日にお通夜に行ってきました。 悲しんでいる人あり、にこやかに挨拶している人あり、不思議な場所です。 始めての経験は、中学三年の時の母の通夜でした。 それから、色々な人のお通夜に出席、悲しい別れも沢山ありました。 南無阿弥陀仏の浄土宗のお通夜。 南無まいだの真宗のお通夜。 親戚は、時宗のお通夜でお葬式は国府津まで行きました。 大学の先輩は、真言宗でした。 友人の父親が、榊を献花する神式、母親は、キリスト教のお通夜。 そして 南無妙法蓮華経の日蓮宗。 同じお題目の創価学会。 一通りのお通夜の経験をしましたが、昔に比べ、故人を偲ぶ場が、だんだん単なるセレモニーと化しているように思います。 葬儀社のやり方にもよるのでしょうが、お経の席に出席できず、別間で待たされてお焼香だけ、 と言うのも有りました。 親族と、来賓が同時進行でお焼香をし、挨拶をする時、喪主が席にいないというのも。 流れ作業で、どんどん進め、その後の通夜ぶるまいも、殆ど形ばかり。 通夜ぶるまいでお酒や料理が出るのは、それを食べながら個人の思い出話をし、酒を酌み交わしながら、故人を偲ぶために有るのに、とてもそんな雰囲気ではない。 お花は契約の所でないと駄目、というところもありました。 「地方の葬儀は何日も続き、嫁としては大変です」と何人かの生徒さんが言っていました。 それに比べ、都会の葬儀は、なんとも寂しい限りです。 故人とのお別れに、遠くからやってきてくれる人達の気持なんて、考える余裕が無いのでしょうか。 友人の母が亡くなった時、その友人は、自宅でお通夜をやりましたが、それまでの仕来たりをやめて、ご霊前もいさい受け取らず、その代り、通夜ぶるまいもしないと言うものでした。 天井に届くほどの、桜の大きな木がその母の元に活けてあり、故人のアルバムがおいてありました。 本当に偲んでくれるだろう人だけ、連絡したそうで、お線香をあげた後、隣室でお茶を飲みながら、 故人の事を語り合いました。 質素でしたが、喪主の母を思う気持が伝わる、よいお通夜でした。 義母の時は、実子は動けないだろうと、色々な人に協力をお願いしましたが、責任者として取り仕切る事になりました。 故人が菊の花は寂しいと嫌っていましたので、祭壇はもとより、お花を下さる方達にもお願いし、すべて洋花にしてもらったり、多少詰めても多くの人が会場に入れるよう、葬儀社と交渉したり、 喪主を祭壇側でなく、焼香の人に身近に挨拶ができる様、焼香側にするため、「逆はおかしい」と言うお茶関係や、親戚を説得、お焼香のとき席を替えたりしました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (故あって 削除しました。) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 皆に十分故人を偲んでもらったと思っています。 いつも 「あんた、しっかりやりなさいよ」と義母から言われているようでした。 |
| << 前記事(2005/03/26) | トップへ | 後記事(2005/03/30)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|
| << 前記事(2005/03/26) | トップへ | 後記事(2005/03/30)>> |