髭猿

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help リーダーに追加 RSS 原型の仕事 その1

<<   作成日時 : 2005/01/08 18:54   >>

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独立した当初、食べるための仕事はアルバイト以外殆ど無く、伝統工芸の金工の本を片手に、
一人教室で黙々と、作る日々が続きましたが、よく生活出来たものです。
この時の知識は、後々非常に役に立ちました。

原型の仕事は、某彫金教室でやった仕事がきっかけとなり、メーカーから直接注文してくれましたが、そのメーカーも銀物からPtやk18物を始めた時なので、お互い原型がどういうものかよく解からず、試行錯誤。
今思うと、よく注文してくれたものです。
このメーカーとの出会いが、髭猿の原型の仕事を育ててくれた、恩人(会社)ですね。

そんなわけで、サンプルや注文主からの原型が、参考に添付されると、この機とばかり、ルーペで観察、かずかなロー付け跡を頼りに、作り方を探りまくりました。
中には、どうしてこんな作り方をするのか解からず、自分なりに作り方を換え、なんとか形にしたものもあります。
こんな事の積み重ねで、だんだん解かってきて、サンプルが無くても作れるようになると同時に、
返品、修正も殆ど無くなり、注文主からメーカーの方に、「あの原型を作った人に、やらせて」と、
指名で仕事も来るようになり、どうにか原型で食べられるようになったのです。
ここまで来るのに、5〜6年掛かりました。
あの時は、子供もいて後が無かった事もあり、必死でやっていたと思います。

このとき自戒としていたのは、「同じ失敗は二度と繰り返さない、どんな仕事でも断らない」
と言う言葉で、このお陰で色々な事を、習得できたのかもしれません。
当時は、たえず悩んでいました。
寝ても覚めてもの状態です。

子供にお金が掛かるようになると、仕事も順調に忙しくなってきましたが、自由時間は殆どなくなりました。
徹夜、貫徹は当たり前、食事とわずかの睡眠時間以外は仕事をしていました。
教室をやっている時は、絶対仕事をしないと決めていましたので、休めるのはこの時と、納品の電車の中ぐらいでした。
当時の生徒達もこのことは解かってくれていたようで、何時も心配を掛けていました。
起きれず、生徒達に起こされた事も何回か有りました。
自習をしながら「一時間経ったら起こそう」と、話し合っていたそうです。

ついに、ダウンする時が来ました。
43歳の時、わき腹に激痛が走り即入院、それから4ヶ月間入院、教室は5ヶ月休みと成りました。

以下次回につづく

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