髭猿

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help リーダーに追加 RSS 和田町教室をはじめた頃。

<<   作成日時 : 2005/01/07 13:06   >>

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1972年8月  相模鉄道和田町駅そば、帷子川沿いにあった木造の小さな飲屋あとで、彫金教室を開いたのが、教室の始まりです。

6畳ほどのコンクリート床の部屋と3畳ほどの調理場があり、間にカウンターがありました。
調理場には、流しが2箇所あり、片方にを宝石研磨機を置き、教室に近い方を酸洗い場としました。
壁は、お品書きのあとが残っており、上からベニヤをはって、林の写真の壁紙を張りました。
入り口は、引き戸でしたが、片側を木枠でつぶしアクリル板に教室名を書いて掲げましたが、6年後、台風で飛ばされてしまい、それ以降看板はありません。
作業台は畳一枚分の大きさで6人掛けとし、大工に注文。
希望のものと違って出来てしまい、やむおえず、そのまま使いましたが、使いにくいまま30年以上が経ってしまい、3ヵ所目の今の教室でやっと、気に入った物が手に入りました。
教室には、自分用の作業台は無く、仕事は自宅でやりました。
と言っても、当時小さなアパート住まいでしたので、台所の片隅に取り付けた棚が、仕事場でした。

オープン当初、生徒は一人もいず、仕事も個人注文以外何もありませんでしたので、アルバイトは色々とやりました。(アルバイトの事 書き込み参照)
三ヵ月後、以前教えていた某彫金教室の生徒達が6人、横浜一人、残りは東京から来てくれ、
やっと教室らしくなって行きました。
このときの横浜の生徒、名簿No1の人は後に結婚、その息子さんが現在教室に来てくれています。
時代の流れを、感じますね。

その後生徒さんも徐々に増え、盛り上がりもあって、1979年の二回目の教室展の時は、過去最高45名の生徒さんが、来てくれるようになりました。

当時のことは以下にも書き込みがあります。
(続かなかった生徒達)  (教室には色々な人が来ました)

教室が面している帷子川は、当時台風が来るとよく氾濫し、三度ほど水に浸かりました。
教室に行くと、ふいごがぷかぷか浮いていて、情けない状態となりましたが、幸い機械、道具類は机の上に置いていましたので、難は逃れました。
そのうち、教室も雨漏りが激しくなるようになり、1981年に原型の仕事も忙しくなってきたので、
自宅のあった団地に移転しました。

現在、30年以上来てくれている、生徒さんが何人かいますが、この和田町教室を知っている人は、
その人達含めて、6人ほどに成ってしまいました。
また当時の一部の人達で、OB会が出来ていて、何かがあると集まってくれます。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
懐かしい 雨すぐに解っつたよね!
近況 カレシ・・頭が感じ易くなった(無いわけじゃない1本1本の元気がちよっと)
私・・頭がだんだん色白に  デリケイトなお年頃です。
ブキッツチョなんだよね。なかなか思っつた様に生きられなくて でも相変わらず 好奇心と一緒です。
下請が2人います でもこれは自分でいれています。 
和田町は 可哀相にさびついて・・・でも 少しmukumuku***
seiko
2005/01/08 12:43
和田町教室は、ほんとに懐かしいですね。
昔ながらの言葉、らしいね、安心しました???。
それが、子供二人とは・・・・・・・。

最近行っていませんが、和田町教室、5年ほど前までは建っていました。
大家さんが倉庫として使っているようでした。
髭猿
2005/01/08 18:51
私は 10年位前・・ なんだか怖かった
さびついたのは 私の中
seiko
2005/01/09 10:07
seikoさん、10年前に行ってくれたのですか、確かに錆付いて、寂しげでした。
錆付いても、崩れる前なら磨けば何とかなります。
完全に朽ち果てませんように。
髭猿
2005/01/12 17:48

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