髭猿

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help リーダーに追加 RSS 三渓園で見つけた

<<   作成日時 : 2004/12/10 11:49   >>

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今回お茶会をやった三溪園の白雲亭は、明治39年頃原三溪の住まいだったらしいのですが、
第二席の水屋の隣は風呂場になっていました。
四畳半ほどの広さの中に五衛門風呂があり、壁上方に写真の物が付いています。

立て出しでお茶をたてながら、”あれは何だろう、照明器具の壊れた物かな・・・・”と考えていましたが、手の空いた時そばで観察したら、なんとシャワーだと判明しました。
明治の富豪の風呂場が五衛門風呂、と言う事も以外だったのですが、シャワーを使っていたと言う事も、予想していませんでした。
西洋文明がどんどん入ってきた時ですから、当然と言われればそれまでですが、
五衛門風呂としゃれた飾りのあるシャワー、このアンバランスがなんとも素敵でした。

アルバムの15枚目の写真が洋間として使われていたところで、椅子席で行われるお茶会に使われます。

来年は月華殿でやるようなので、沢山写真を撮ってこようかと思っています。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
そーですか!シャワーですか!
H-ziiは三渓園にも、あの時代の建築にも何の前知識がないのですが、たいへん興味深いですね。シャワーの水は井戸水をタンクに汲み上げた?それとも、もう水道が?それと天井が気なります写真から察するところ、中心が高く四方に傾斜して下がっていく「水滴がポタポタ落ちない」構造では?
そして妄想はさらに広がり、この中に入った「明治美人の・・・」いけねっ!
まさに、こりゃー「H-zii」ですね!(ゝvб)
H-zii
2004/12/10 21:44
明治4年から水道が始まり、明治20年に日本で始めて近代水道が引かれたそうです。
開港当時横浜村はわずか87戸だったそうですが、外人駐留地がどんどん出来、
三渓園のような海岸地帯は、当時すでに埋立地で、井戸を掘っても良質の水が出なかったため、水道化が早かったようです。
アルバム写真にコンクリートの建造物や、小さな祠に流れる水がや羊歯の群生が写っています。
水屋の裏手にある崖状の所ですが、もしかしたら昔の海岸線かも。
楽しい事になりました。さすが飛孤爺Good着眼点。
風呂場の天井は、仰るとおりです。
「明治美人・・・」広い風呂場に、小さな五衛門風呂、そしてシャワー、富豪、30畳の洋間。
当時の「外国美人・・・」居てもおかしくない・・・・・・・。
髭猿
2004/12/10 23:24
お茶会、良いですね。
私は立てる事はできませんが、頂くのは大好きです。
習ってみたい事の1つです。御花も習いたいです。
それから、写真も大好きでよく撮ってます。

リンクの方ですがHPの方に貼らせて頂きました。
事後報告になってしまいますが、バナーはTOPの画像で作らせていただきました。
へなちょこバナーですみません(汗)しかもデカイ(笑)
リンクページ新着とArtists&Creatersのコーナーにリンクしてます。
http://gin-rei.com/
お暇のあるときにでもご確認ください。

玲。(GIN)
2004/12/11 10:04
・・・・
・・・・
2005/02/23 15:38

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