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そもそも 彫金を始める気は無かったのです。 昔から、仏像に興味を持っていて、仏師になりたいと言う希望は、ずっと持っていました。 ただ諸般の事情から、仏像では中々食えないと言う事は、感じていました。 そこに彫金教室の情報があり、彫金でも仏像は作れるかな、と言う妥協から、この道に入ったわけなんですね。 今思うと、いい加減な物だったと思います。 たまたま彫金に触れる機会が、一番早かったと言う事で、染色であっても、漆であっても、作る事なら何でも良かったのです。 ある時、”仏像彫刻のすすめ”と言う本に出会い、巻末に、通信教室も有ることが書いてあり、それまで眠っていた感情がむくむくと湧き上がってきました。 ”松下宗淋、朋淋”と言う親子の京仏師が、その本の著者であり、教師でも有ったのです。 まだ彫金の仕事がさほど無い頃でしたので、時間は沢山有りました。 それからは、その本を穴の開くほど見つめ、1枚1枚の写真から読み取れる情報を取りまくりました。 自由になるお金も殆ど無かったので、細かい彫刻刀は彫金の技術を応用、ピアノ線やロット棒を叩いて焼き入れ、砥石で研いで作り、鑿もちゃんとした物は高価なので、日曜大工の店で安いものを買い、焼きなまし変形させ、丸鑿や写真に有った曲がり鑿に作り変えました。 この辺は、機械科卒の強み、鉄の事はだいたいの知識を持っていましたので、刃物に使える鉄の事には困りませんでした。 探すと身の回りにも沢山有る物です。 木材は、住宅の建築現場に行き、檜の柱の切れ端を貰ってきたり、友人達に”仏像を始めたぞ”と 言いまわると、桂、桜、梅、いちい、いちょう、つげ、楠木、アイヌ彫刻に使うえりま木など色々持ってきてくれました。 中には硬すぎて仏像には向かない物もありましたし、どれも切れ端ですが、これで十分でした。 その頃、東北で牧場をやっていた友人は、樹径45センチもある桂の木の丸太を、チェーンソー持参で運んできてくれました。 その丸太の一部は、今教室の木台になっています。 ほんとうに、友人とは有り難いものです。 髭猿の人生を考えてみると、友人に助けられた事の何と多かった事か。 感謝 感謝。 それに対して髭猿は、その友人達に何をしてやれたかな。 疑問、反省。 以下 次回。 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|---|
Merry★Christmasですねー! |
GIN@玲。 2004/12/24 11:56 |
お久し振りです。 |
髭猿 2004/12/24 12:56 |
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