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本格的にアルバイトを始めたのは、高校をでて大学に入るまでの、2ヶ月間で、 京急、大鳥居にあったプラスチック整形の極小さな町工場でした。 照度計のケースを熱間整形してプレス加工する仕事で、単純な仕事です。 大学では、夏休み期末休みとも、貧乏学生の稼ぎ時で、子安の日産工場で施設補修の仕事、 自動車の免許を取ってからは、追浜の日産工場から横浜のディーラーまで新車の陸送。 これは楽しかった、なにせ慣らし運転もしていない新車を 思いっきり走らせることが出来たのですから。 ガソリンスタンドのバイトは、12時間労働で、しかも2月、水が冷たく洗車は手洗いでしたので、 けっこう大変でしたが、チップを呉れる人もいて、それなりにやりがいはありました。 たしか、時給80円でしたが、一ヶ月丸々やると3万ほどになり、当時の大学初任給より稼げました。 運転手のバイトが結構多く、土建屋の資材運び、知人に頼まれての送迎など結構やりました。 普段は、長兄の家電工事の手伝い、電気器具の修理、中学生の男の子の家庭教師。 清里のドライブインで、ただで泊まらして貰う代わりに、ウェイターの仕事なんて言うのもありましたっけ。 サラリーマン時代は、殆どアルバイトはしませんでしたが、挿絵を頼まれたりはしました。 彫金で独立すると、初めの頃は彫金の仕事も少なく、教室の生徒も数人の時期があり、 アルバイト=生活費でしたが、レタリング、某氏の”彫金教室”"宝石教室”の本の、 挿絵書きなどもしました。 仏像も彫っていた時期があり、注文で木彫の仏像も何体か彫ったり、小さな仏画も書きました。 そうこうしている内に彫金の仕事も増え、教室の生徒も増えて、アルバイトをしなくて良くなりました。 アルバイトでの色々な知識は、彫金でも役に立ったことが多く、なんでも無駄な事は無いと、 実感しています。 彫金 彫金で使う道具をそのまま使うのではなく、その道具が持つ色々な機能を考えてみる事も必要です。 たとえば、ヤットコは閉じてつかむ道具ですが、逆に開く道具としても使えると言う事。 その道具を壊す使い方でなければ、どう使ってもいいわけです。 また、使いにくければどんどん改造しましょう。 角を丸めたり、溝を付けたり、曲げたり色々有ると思います。 逆ピンセットなどもただ普通に挟むのではなく、片側を曲げて、一点で押さえるようにしたり、 片側に小さな溝を入れ、メレー石座の線爪のロー付けをやり易くしたり、するのも一法です。 その為にも、未加工のヤットコやピンセット、たがね材など、予備として余分に用意しておきます。 道具の改造は、慣れれば10分ぐらいで出来るようになりますので、めんどくさがらずやる事です。 日誌 5日にかみさんのお茶会が三景園であり、その準備にてんてこ舞い。 祖母の時から家族、知人総動員が恒例で、娘の代になっても、皆手伝ってくれます。 有りがたい事です。 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|---|
髭猿さん |
H-zii 2004/12/03 22:47 |
・・・・ |
・・・・ 2005/02/23 15:36 |
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