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あの頃の家庭の中心は ラジオでした。 長兄が作った、5球スーパーと言う真空管を5本使ったもので、木製のケースに入っていて、 やわらかい結構良い音がしました。 このラジオなんと 和田町に教室があった1980年ごろまで教室で使っていました。 30年間使ったことになります。 クラシックな雰囲気で好きだったのですが、修理部品が秋葉原でも手に入らず、教室移転と共に 処分しました。 今思うと取って置けばよかったかなと思います。 どう言う訳か 通信機器などの弱電関係は昔から苦手で、理論的な事は頭に入りませんでしたが、 回路図は読むことが出来ましたので、図面さえあれば作る事はできました。 この時 半田付けのトンネル付けや芋付け、理想的な半田付けはどんな物か、余分な半だは どうやって取ったらいいか等を学び、後々まで 色んな所で役に立ちました。 隣の写真館は金持ちで すでに"ヒルマン"と言う自家用車を持っていました。 そこの息子は 耳が不自由なため喋れませんでしたが、隣人でもあり年も一つ上と近かったので、 よく遊びましたが、別に喋れなくてもお互い不自由は感じませんでした。 家には 当時としては珍しい、モノクロのテレビがあり、彼の部屋には三線式の”Oゲージ”の 鉄道模型がありました。 今思うと これに釣られたのかもしれませんが、 つるんで映画に行ったり(字幕のある洋画)、公園で遊んだりもしました。 これが 初めてのテレビとの出会いで、我が家にテレビが来たのは 横浜に越してきた、高校になってからです。 この頃は長兄の家に居候していた関係で、電気工事屋をやっていた兄の仕事を良く手伝いました。 おかげで テレビや家電の修理を 門前の小僧で すっかり覚え、当時のテレビには回路図が 必ず付いていましたので、ほとんど直せない物が無いくらいになっていました。 友人や知人の家に行くと、”あれ直して、これ直して”と 重宝がられたものです。 最近は 自動車も家電も ユニット物になり 修理が難しくなってしまいましたし、 買ったほうが早い時代になってしまいました。 モノクロテレビ時代には テレビの前に下げる色々なフィルター?(保護カバー?)がありました。 レンズになっていて画面が大きく見えるもの、光の三原色の縞模様になっていて、カラーに見えるという、馬鹿らしい物、大きな円盤にこれまた三原色のフイルムを貼り付け回転させ、 カラー放送の周期と同期させカラーに見えると言う、なんとも激しい物など、楽しい時代でした。 彫金 またまたヤスリの話 ヤスリを持つ時 目切の終わった辺りの中央に人差し指を置き、やすります。 当たり前の事なのですが、生徒さん達を見ていると、やすりの中ほどを持ち、 チョコチョコ削りをしています。これでは能率が上がらないばかりか、安定しません。 素材の端を直角に真っ直ぐ削りたいとき、数回やすったらその削り面を見て、 今どこをやすっていたか観察します。 次に又数回やすったら、前の面と今やすった面の違いを見ます。 真っ直ぐ削りたいのに 面の変化が小さな面として変化する時は、丸く削れていますから、 その小さな面がだんだん大きくなるように、姿勢を変えずに(やすりの角度を変えない)、 やすっていくと、素材の巾いっぱいまでその面が広がっていけば、真っ直ぐやすれた事になります。 もし右下がりにやすれたら、初心者ならばやすりの巾中央の人差し指を、少し左にずらし、 削っていきます。 ある程度やった人ならば、指は中央のままで、やすりの左側に意識をもっていけば、ほんのわずか左側が強くなり、少しずつ修正されます。 糸鋸と同じように、素材を持つ左手と、やする右手の関係が大事で、決まったら、その関係を、 絶対に崩さないようにする事です。 その為には、数多く作り 訓練すれば、削った面とやすりの関係が、理解できるようになります。 そして 素材に 語りかけ 素材と対話するという意味もわかってきます。 日誌 昨日は 親戚の息子が婚約指輪と結婚指輪の相談に来ました。 これまでも 沢山の指輪を作ってきましたが、身内、親戚、皆髭猿の結婚指輪をしているって、 有り難いことですね。 結婚式で集まると、”これも作ってもらったんですよ”と言って見せに来てくれる人がいます。 こちらは すっかり忘れていて、とても懐かしい物にあったような、照れくさい気持になります。 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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ヤスリの話とても面白かったです。 |
唐獅子 2004/11/09 12:24 |
・・・・ |
・・・・ 2005/02/23 15:41 |
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